社会福祉法人親の家
施設長 佐々木輝雄
Ⅰ 福祉施設で働く方々へ~皆様には熱い期待が~
高齢者のための福祉施設の役割に、ようやく注目が集まり始めています。
日本では「高齢化」の予測はできていたが、高齢者を支えるはずの家族の「構成の変化」がどのような影響を及ぼすことになるのか、これを国は見通せなかったようです。
「少子高齢化」という表現を多用するに止まり、そこからどのような社会問題が浮上してくるのかを見抜けなかったのです。
それを示す典型例が、福祉に携わる人々への社会的評価を正しく行えなかった。
福祉分野に優秀な人材を導く方策を怠ったのである。
すなわち、高齢者の急増は分かっていたのに、彼らを支える家族基盤が弱まっていることを軽視してきたのです。
施策が欠如してきたために、高齢者の残された人生を誘導できる指導員(ケアマネージャー)は不足し、彼らの生活の拠り所となる福祉施設は極端に少ない、という「日本の悲劇」を作り出してしまいました。
ところが、こうした状況に果敢に立ち向かい、救済者となろうとしているのが皆様なのです。
「人を想いやり、支える」という志(こころざし)が、日本のこの失策を補おうとしているのです。
国も皆様の処遇を向上させようと、ようやく腰を上げざるを得なくなってきました。
「日本の悲劇」から回復するには、皆様方への評価を高めて、福祉に携わる「尊い志(こころざし)」に依存せざるを得なくなっていることに気づき始めたのです。
Ⅱ 社会福祉法人「親の家」に込められた願いとその立地
さて、社会福祉法人「親の家」は、すでに20年前から日本社会の行く末を憂慮し、高齢者のより良い生活づくりに取り組んできております。
「親の家」は、東京都のほぼ中央、吉祥寺で有名な武蔵野市に立地しております。
ここは、東京都が管理する広大な緑の「武蔵野中央公園」の西に隣接し、住宅地の中でもひときわ花木を輝かせて市民を楽しませ、一風変わった洋風の構えで市民をお迎えしております。
「親の家」とは創立者の命名で、「親」の愛で寄り添い、「家」の絆で利用者の人生を豊かに維持する、という願いが込められております。
「親の家」が、市民からの評価を高めて、常に利用者で満たされてきているのは、こうした創立者の願いを全職員が親身になって体現してきたからと言えます。
福祉においては、人を看(み)る「強さと優しさと思慮」が大切になります。
「親の家」では、「親の愛」と「家の絆(きずな)」を背景にして、職員が常にワンチームのように協力し合います。
職員の間で育まれている強い信頼が、「親の家」の利用者に、心地よい空間を生み出していきます。
質の高い福祉サービスを供給し続けるには、職員間の相互理解と協力が不可欠であり、それを優先できる「親の家」こそ、皆様にお見せしたい職場であると思っております。
Ⅲ 親の家の一つの光景
(1) 自慢のレストランと手作り料理 ~業務内容 その1~
敷地を縦に見て、150メートルにも及ぶ「親の家」を囲む木々の梢から、小鳥のさえずりが始まる頃、厨房では利用者の朝食づくりの準備が始まる。
特別養護老人ホームで生活する人々の目覚めは早い。
介護士達は、利用者を一人ずつ優しく、彼らの居室から共用空間への移動を手伝っていく。
午前8時頃には、全員のテーブルに食事が並べられる。
食事内容は、各自の体調に合わせて調整してある。一人で料理をうまく口に運べない人には、介護士や看護師が隣に座って丁寧に介助をして上げている。
あちらこちらから、「ありがとう」、「おいしい」、「ありがたいね」という声が聞こえてくる。
1日3回の食事とおやつを手作りで出す。これは「親の家」の自慢での一つである。
利用者にとっての最大の楽しみは食事なのである。
これを大切にしているが「親の家」であります。
(2) 出会ってみたい信頼できる優しいケアマネジャーたち ~業務内容 その2~
朝食が終わる午前8時半頃から、事務室では、自宅生活をする高齢者を気遣うケアマネジャーの声が響き渡る。受話器を手にして、次々と優しい声をかけていく。
「○○さん! ご機嫌いかがですか?」
「何だか元気がありませんね~」
「どうされましたか?」
「ゆっくりお話ししてみてください!」
「親の家」には「居宅介護支援課」も存在している。
自宅で不自由な生活をしていたり、不安で悩まされる高齢者達のこれからの生活に明かりを灯(とも)して、「安心」へと誘導していく役割を担っている。
実は、福祉に欠かすことのできないケアマネジャーが全国的に極端に不足している。
「親の家」では、このケアマネジャーと出会えたら人生における最高の幸運、ともいえる訓練された複数の職員を有している。
(3) デイサービスの大切さと訓練された職員たち ~業務内容 その3~
午前9時が過ぎる頃、「親の家」の玄関からホールに向けて、雰囲気が一変し、賑やかさが増す。
デイサービスの利用者を乗せた送迎車が、次々と到着するからである。
職員に誘導されて、利用者が入ってくる。
「おはようございます」
事務所からも一斉に、「おはようございます!」
「よろしくお願い致します!」
こうして「親の家」からは、明るい声が響き渡る。
デイサービスの役割は多様である。
利用者の不自由さの内容が各人各様であり、デイサービスへのニーズが多様化しているからである。
百歳を超える人もいれば(写真)、認知症における周辺症状緩和のために参加する人もいる。
利用者全員に必要なことは、社会参加の場の提供と適度な運動である。もう一つ大切なことは食事やおやつで和みの場を作り出すことである。
さらに皆で遊んだり考えたり、これをゲームのように工夫する職員の準備がある。
「親の家」では当たり前の職員同士の協力関係が、最も反映されているのがデイサービスの場なのである。
(4) 特養ホームの家族を超える思いやり ~業務内容 その4~
高齢者にとって共通の懸念は、人生の最後の10年をどのように過ごせるかである。
長寿による体力の衰え、認知症による行動の乱れ、身体の機能の弱まり、身寄りを持たない等、懸念を超えて自立生活が不可能になった方々を、責任をもってお世話していく、これが老人の介護施設の役割である。
1日24時間、家族にもできない完全介護を「親の家」はやり遂げている。
利用者の居室と共通の空間の中で、本人の希望を確認しながら快適な生活を提供していく。
各々の事情をわきまえた食事作りと飲食介助、丁寧な排泄介助や体調管理、ゆったりと楽しみながらの入浴時間、眠れぬ人には夜勤の介護士がそばにつく。
利用者に対して、優しく、根気強く対応する介護士を目にしていると、いつも次のことが脳裏をよぎる。
「この施設に入ることを希望して、まだ叶わぬ大勢の方々は、一体どのように暮らせているのであろうか」と。
世に評価すべき仕事は数多かれど、当施設での社会的役割がどれほど大きいものであるかを、多くの人に知って頂きたいと思うのである。
Ⅳ 福祉に携わろうとしている人を改めて評価したい
人生における大きな岐路は、職業の選択であろう。
誰でも「楽をして、注目を浴び、お金を儲けたい」と考える時はあろう。
芸能界やスポーツの分野では、才能によって道が拓かれようが、成功者はわずかである。
作家や画家や学者等の文化人の道も、多くは趣味から入るが、労苦を惜しまず時間を費やす割には見返りはまちまちである。
多くの人は、どこかで開き直り、成り行きまかせで一生を終えてしまう。
さて、福祉の道を選択する人はどうであろうか。
福祉の実践を目指す人々の多くは、他とは初めから動機が異なっている。
「福祉は楽な仕事ではない。弱者に寄り添い介護しても世の注目を浴びるわけではない。しかもお金儲けを第一していてはこの仕事はできない」
だから、福祉の道には、人が抱けない「尊い志(こころざし)」があるのである。
そうでなければ、資格を取得できても、この仕事をやり遂げることはできないであろう。
人を助け、人に喜んでもらう。人の人生の幸福を考えることもできる。
この方向は、医師や看護師等の医療関係者と同じ道なのである。
多くの人に安らぎを贈り、幸せを維持してあげられるのが皆様なのである。
共に歩みましょう! 真に尊い道を。